偉人たちの永遠の言葉12(2022年12月19日)

「アプローチは転がしに限る。ミスなくきっちり寄せられる」

ポール・ラニアン

「リトルポイゾン(小さな毒虫)」と呼ばれていたポール・ラニアン。168cm、57kgという小さな体で大男たちに立ち向かい、得意のアプローチでちくりと刺しては毒を効かせて倒してしまうのだった。

 1934年の全米プロでラニアンは大男の飛ばし屋であるクレイグ・ウッドを破って優勝。’38年には再び全米プロで大男の飛ばし屋、サム・スニードを8アンド7という大差で葬り去った。ドライバーショットは230ヤードも飛ばなかったが、PGAツアーで賞金王にもなり、生涯29勝も挙げている、とんでもないプロゴルファーだったのだ。

 スニードとの対決では、ドライバーショットで毎回50ヤードも置いて行かれながら、正確なフェアウェイウッドとアプローチでスニードのショットの内側に入れていく。「まるでマンホールに打っているかのような正確さだった」とスニードを唸らせた。

 そのアプローチはどんなものかと言えば、どこからでも転がすというもの。グリーンエッジから5ヤードでカップまで30ヤードあれば3番か4番アイアンを使って転がした。ランがキャリーの4倍の距離があるときは6番か7番アイアンを使い、2倍のときは8番アイアンで転がしてピタッと寄せてしまうのだった。

 打ち方はボールの近くに立って、両肘を曲げてクラブをパターのように吊し、ヒールを上げてトウ側でコツンと打つというもの。手首と両肘と両肩の5角形を崩さずに打つ5角形打法だった。

 ラニアンはピンが近いときにも、ウェッジのフェースを開き、この打ち方でフワッと上げて転がしたという。

「転がしはミスが少ない。ボールにスピンをかけないので距離感が安定する。しかもグリーン外からのパターのようなものなので、チップインが抜群に多い。最高のアプローチだよ」

 ラニアンはツアーを退いた後はレッスンプロとして活躍し、93歳で亡くなる3週間前までアマチュアにレッスンをしていたと元気男であった。

 サム・スニードは全米プロの思い出を聞かれ「ラニアンから直接教えてもらったことはないけれど、あの試合はボクにとって大きなレッスンだった」と語っている。 

PAUL RUNYAN

1908年米国・アーカンソー州生まれ、2002年カリフォルニアパームスプリングスで死去。17歳でプロ入りし、ツアー29勝を含め、世界中で生涯50勝以上も上げている伝説のゴルファー。エージシュートも数知れず、87歳のときに73で上がった14アンダーの記録は世界記録にもなっている。’90年、ゴルフ殿堂入り。

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